ついに明日大きい荷物を運び出す
寝床が移動するとなると、神戸の家が無くなるのを実感する
狭くて住みにくくて,でも景色と立地だけはよくて、4年ほど住んだのかな 愛着はある
でもどちらかというと自分にとってよりかなしいのは、思い出の場所が完全に消え去ること 再び訪れることができなくなるから 覚えてることも覚えてないことも、どこに居ようが同じだけど、まさにその場に過ごすことが、思い出と一緒に生きることみたいに思える だからもっと写真を撮っておきたかったんだ さみしい
目に見えるものばかりを信頼しすぎている そもそも、信頼と言うのはそのようなものではない
わたしの人生はさみしいを軸に回ってる気がする 寂しい 状態を言語化するやり方の違いでしかないんだろうけど、わたしの心の中にはつねにさみしいという言葉がある みんなの軸感情はなに?
これからは遠慮せず写真を撮りまくろうとおもいました スマホで撮ったのはドライブにあげて、でも、アナログで残してアルバムにしたいな 心の穴が明確になりそうなとき、触れられる思い出はすごく効果が高いから ああは言ったけど、目に見えるものに安心してもべつに良いでしょ