POOR LOVE

静かな断末魔

曖昧な愛概念は万能の鍵かも

10年前というと14歳の頃か 中学2年生のわたしは、大阪の北朝鮮と呼ばれる私立の6年制進学校に通っていた。某学校は大阪でトップクラスの成績を誇り、小学生当時受けてた模試では常に偏差値70前後を要求された。そんな子供時代を過ごした私は当然のように精神の調子を崩した。大崩しした。そもそも親のことが嫌いで、家にも学校にも居場所のなかった私が健やかに成長できるわけがなかったのだ 訳の分からない奇行を繰り返し、暴走機関車状態の私はまさに問題児だった

恋をしてからはさらに拍車が掛かった 当時好きだった子には本当に申し訳なかったと思っている 

「最近の○○、鬱病みたいでちょっと怖いかも💦」

と、交換ノートに書かれたことを明確に記憶している。女の子に告白までした挙句メンヘラ散らかして困らせていた 完全に思いやり0の怪物だった 思うように親から受けられない愛を他人に激しく求めてしまう様はまるで物乞いだった

 

そのあたりは10年たった今でもあまり変わってないのかもしれない。だけど今の私は思いやりの欠如に気付き、猛省し、努力している 

恋愛感情が、「好きだから所有したい」から「大切な人を守りたい」に変わったことが大きい気がする それが成長なのか単なる変化なのかはわかんないけど。家族との仲も持ち直して、居場所を見出す努力もしてる 楽に生きられるようにはなってきたかも

 

それから、死にたいと思わなくなった

思春期によくある病み方だって私も思うけど、本気でつらくて勉強に身が入らなくて高2の時分親に相談したときにそう言われて、絶望のなかに突き落とされたような気分になったから、子供たちには絶対言わないようにしようと思ってる

大学2〜3回生くらいまでは普通に死にたかったし、死にたさが恒常化して疑問にも思わず普通に未遂を繰り返してた 何が私を変えたんだろう ただ大人になって落ち着いたんだなんて、中身のないカスカスの常套句私に対して使わないでね。

なんにせよ大好きな人たちが私を生かしてくれたことに変わりはない 今の私を作ってくれてありがとう 10年前の私は、24歳の私が死にたさから解放されてるなんて夢にも思わなかったはず 20歳の私ですら

 

10年経って変わらなかったことは、やっぱり不安定な精神の性質だと思う 程度やベクトルが違えど、生きるのが苦しいのは今も変わってない 将来に対峙しても絶望の暗闇しか認識できず、ありがたいことに、ただこちらにと手を差し伸べてくれる人やことがあるから、慣性に従って生きているだけ それでも生きている限りはより善く生きたいと思っている ちゃんとエーリッヒフロムもジャックラカンも読んでる そういう生への前向きな取り組みがあることは事実だ 現状比較的明るく虚無主義をやっているだけの人になってるけど…でも、逃避に使わなくなった 死に侵食されるのを拒絶できている。

ほんとにひとえに愛だとおもってる 全部

なんでも簡単に愛っていうのは嫌いだけど。曖昧な愛概念は万能な鍵じゃない

だけど それでも、やっぱりひとを想いひとに想われることが私の命を救っていると思う

教えてくれてありがとう

 

また10年後、少しずつアップデートを重ねて全細胞が入れ替わって、違う自分が出来上がっているのだろうか どうか健やかにと、祈れる自分は自分の生を愛せているのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと