こういう風を感じたのはいつぶりだろう
午後3時の手前、晴れた春の窓際でレースのカーテンが地球の呼吸を模している さながら肋骨の挙動。不規則にも規則的にも見える波が眠気を誘っている
近頃よく昔のことを思い出す。小学校や中学校の頃のこと 雨の日の印象ばかりが残っているのは、晴れた日が日常の代名詞だからなのだろうか トタンの屋根に落ちる弾丸のような音 土の匂い タニシの棲む池の藻の匂い 深い緑の葉から幾度となく落ち続ける大粒の雫とそのゆくえ 薄青い視界 誰もいない校舎の埃っぽい匂い 家族が優しかったこと 擦りむいた膝の痛かったこと
数少ない晴れた日の思い出は、今日と同じような天気のカーテンの中で眠ったこと 生家とも言える祖母の家の窓際で、座布団の上でよく眠っていた
昔から思い出というものが苦手だ 懐かしむとうっすら憂鬱になるから。二度と手の届かない遠くに行ってしまった、美しかったものごと。でも常に、人生や日々というものは精一杯で、そうあることしかできなかったもので ただ遠くへ行ってしまったというだけのこと それらを大切に思い返し愛でることが、今を貶すことのように思えるのは何故なんだろう。なんとか生きているだけの今ですら、未来の私にとっては遠くに霞む美しい宝石となるのだろうか。
思い返せば、私はいつだって寂しかった 今だってそう、この先もきっと。ただ懸命に生きて、また思い返して、不安なまま進んでいくしかないんだろう。ただの石ころが宝石に見える頃には、今よりも多くのものを愛せるようになっていますように。